やっと冬らしい気候になりましたが、皆様、いかがおすごしでしょうか。
ども、そんなわけで私が、最近電車の中で「こどものためのソルフェージュ教室」を、聞こえない程度でハミングでやってるコンマスHです。
音が聞こえないようにしているので、車内の人たちからは熱心な音楽教師が授業かレッスンの予習をしている風に見えるでしょう。
さて、わたしのことシリーズの9回目を書いていきます。
前回のこのシリーズでは、父の死について書きました。
父は1月に亡くなったのですが、その年の8月にわたしは小学校のプールに飛び込んで、プールの底に頭を激突し頸椎3番、4番圧迫骨折をしました。
今回はそのことを書いていきます。
8月の夏休みのある日、小6になった私は、プール教室の手伝いで小学校にいきました。
当時は、
① 5年、6年
②3年、4年
③1年、2年
の順にプール教室がおこなわれてました。
で、数名の6年生がハンコ押しの手伝いで順番でずっと残ってました。
ただやることはハンコ押すだけです。
他はプールサイドで話してたり、空いてるスペースで泳ぐことも許されてました。
手伝いにいった日、1年、2年のプール教室の時間帯に友達としゃべってからなんとなく泳ぐ流れになりました。
そこで飛び込んだ私は、プールの底に頭を強打しました。
当時、小6だった私は身長が160センチ近くありました。
ところが、飛び込んだとき、水深は1メートルくらいだったらしいです。
というのも、1年、2年という低学年にあわせて、プールの水を抜いていったらしいです。
なのではじめの時間帯は高学年のプールの時間にし、中学年、低学年にのプールの時間になるにつれ、すこしづつ水を抜いていってたようです。
なので浅いプールに飛び込んでしまったわけです。
しかも、飛び込み方も腹打ちではなく、飛び込んだあと推進力をつけるために深めに潜るような飛び込み方をしました。
そりゃ頭打ちます。
当時はソウルオリンピックがちょうどやっており、現在スポーツ庁長官やっておられる鈴木大地氏のバサロスタートが全盛期でした。
って全然関係ないですね。。。
さて、飛び込んで頭を打ったらどうなったか。
手足に力が入りませんでした。
そして最初は浮きました。
で、力入れようとしてバタバタしたら今度は沈みました。
沈んだところで異変を感じた先生たちが助けてくれました。
今思うんですが、このときバタバタしなければよかったんですね。
力入れなければ浮いてるんですよ。
変に力入れちゃったから沈んだんですね。
きっと溺れるのも同じ原理なんでしょうね。
って
「お前が書いてきたことを世間ではおぼれる!っていうんだよ!」
って言われそうですね。すみません。。。
話を戻します。
引き上げられた私は、絶対安静を命じられ、結果的に2ヶ月以上起きることはありませんでした。
力が入らなくなった両手、両足に更なる異変がおこりました。
とにかくしびれました。
ちょっとした刺激でしびれました。
どれくらいしびれたかというと、手首のところに服の裾が触れただけでしびれました。
あれは今思ってもすごいしびれ方でした。
そして救急車で病院に運ばれました。
ちなみにこのときは、海水パンツでした。
そんな恰好で病院に運ばれ、子供ながらに恥ずかしかったことを覚えております。
って本当はこの話は一話で完結しようと思ったのですが、全然終わらなかったので数回に渡って書きます。
次回は病院に運ばれたからのお話について書きます。
今回はこのへんで。
では。