改めて型について考えてみます。

東京はお花見シーズンですが、皆様、いかがおすごしでしょうか。

ども、そんなわけでわたくしが、またお花見をしていないコンマスHです。

今年はどうもお花見らしいお花見は出来そうもありません。

残念です。。。

 

今更ですが、第29回演奏会はおかげさまで無事終了することができました。

本当にありがとうございます。

第29回のチラシ画像及びパンフレットは、過去の演奏会>第29回定期演奏会のページに掲載していますのでぜひご覧ください。

 

では本題に入ります。

 

第29回の演奏会では、チャイコの組曲3番の第4楽章のソロを弾きました。

ひさびさに人前でソロを弾いたので、最初はどうしていいのか全くわからなかったのですが、音楽監督である小倉先生がわざわざ時間を作っていただき、個別にみていただいてからコツをつかみ、どうにかなるようになりました。

というか好き勝手やらせていただきました。

 

で、なんで今回また型について書こうかと思ったかというと。事件はGPにおこりました。っていうほど大袈裟なことは起こってないのですが。。。

 

本番1週間前にGPがありましたが、急な寒さで体調を崩してしまいました。もうボロボロでした。

でも外に出られないほどではなかったので、GPには向かいました。

で、GPでソロを弾くときになったとき、小倉先生が指揮棒を飛ばしてしまいました。

あ、と思った瞬間に飛んだのは私の意識の方でした。といっても倒れたわけじゃなく、少しの間、おそらく1小節くらいの間は無意識でソロを弾いておりました。

意識を戻してももうソロは弾き始めたので、そのままいくしかなかったわけです。

あと、意識が戻ったとはいっても正常じゃないので、自分でもよく分からない揺らし方をしておりましたが、これまた不思議なことにコントロールできずにそのまま弾き切りました。

でも、そのときの頭いっちゃってるときのソロが好評だったんです。

褒めていただいてこういうのは大変失礼なんですが、何で褒められてるのか全くわかりませんでした。

なぜなら、私は意識飛んでたり、朦朧として弾いてたのですから。。。

 

で、最近になってGPの音を聞いたのですが、確かによかったです。自画自賛して恥ずかしいですが。。。

 

それと同時に、なぜ意識朦朧として弾けたか考えたのですが、それは普段、身体の使い方について鍛錬してるからだと思います。そのために無意識でも、というか意識してない分、余計な力が抜けてるのがよく分かりました。ということは課題としては意識していても無意識のときと同じくらい力抜けて弾けるようになることですね。そんな発見もありました。

で、この鍛錬についてはそのうち書きますが、簡単に言えば型稽古なんです。

バイオリンを弾くというのも身体の運動の一種です。

なので、バイオリンの弾き方というより、身体の使い方を考えた方が実は近道であることは昔から気が付いてました。なので身体の使い方について考えるようになり、鍛錬するようになりました。

今回のGPでのソロの演奏は、ここ数年やってきた鍛錬の成果がきちんと出てるなと思いました。

 

そしてもう一つ気が付いたことがあります。

それは音楽的にはもうちょっといけるんじゃないかということです。

何を思ったというと、

「弾くという動作に関しては型稽古やってきたけど、音楽については全く型稽古してこなかったな。」

と。意味わからないですね。

音楽についての型、要は楽典を始めとする理論です。

小倉先生から、ソロの部分に関するポイントは教わりました。

無意識の演奏でもそこは出来てました。

だからうまくいったんだと思います。

もし、私が音楽理論について無意識レベルでも表現できるくらい身体に沁みこませていたら、もっといい演奏になってた気がします。

 

なぜ「型」にこだわるかというと、効率がいいんですよ。

しかも再現性があるので、誰でも、とは言えないかもしれないですが、多くの人が例えば音楽だったら、良い演奏が出来るようになるわけです。

「型」だけでもダメなのかもしれませんが、「型」、普通に言えば理論は知っておいた方が、音楽の解釈の仕方も変わると思うのです。

「型」を知った上で「型」以外のことをやるのはいいと思いますが、「型」を知らないのに「型」以外のことをやると、単なる破滅した音楽になるでしょう。

前者は「型破り」、後者は「型なし」と言われてますね。これは有名な話です。

 

というわけで、第30回の白鳥湖の練習も今月末から始まります。

正直、時間はないのでどこまでできるか分からないですが、音楽の「型」である楽典を勉強することします。

 

だいぶ長くなって申し訳ございません。

では。