身体の使い方以外による「型」

インフルエンザから花粉への流行にうつりつつある今日この頃、皆様いかがおすごしでしょうか。

ども、そんなわけでわたくしが節分をもって後厄が終了したコンマスHです。

やっと厄年が終わりました。

おかげさまで大きな不幸に見舞われることなく、むしろ体調は良くなった気がします。

厄年をすごしてみて思ったのは、

「厄年というのは身体が変化する時期であって、過ごし方によって良くも悪くもなるんじゃないか?」

ということです。

やはりこの3年間、自分なりに気を付けて過ごしました。

ええ、身近な団員たちにはそう見えないでしょう。ええ。そう見えないですわ。

でも、微妙にお酒の量を減らしました。

あと、体操もはじめました。

そしたら、むしろ体調は良くなりました。

でももし、何もしてなかったら悪くなってたと思います。

なのでやはり厄年というのは、気を付けて過ごした方がいいとは思いますね。

 

ってひさしぶりなのに冒頭から話がそれてしまいました。

だいぶご無沙汰して申し訳ございません。

 

そういえば型について書いてましたね。

 

前回は身体の型について書き、今回は身体の使い方以外の型について書くのでしたね。

 

ですが、身体の使い方以外の型について、そんなにかけることがないことに気が付いてしまいました。。。

なのであっさりいきます。

ひどい。。。

 

何が言いたいかというと、身体の使い方以外の型、音楽で言えば「音階」のことなんです。

音階って、ドレミファソラシドのあの音階です。

あ、和音や分散和音も含みます。

私からしたら音階が典型的な型なんですよ。

実は昨日、バイオリン練で音の確認をしていたのですが、調によって高くとるべき音や低くとるべき音、絶対に高くとってはいけない音などがあることを改めて気が付きました。

逆に、音階の各調ごとにあるルールを守れば効率よくいい音が出るんです。

そうすると、やみくもに演奏しなくていいわけなんですよ。

もっといえば、音量がなくたっていい。

音量がなくてもしっかり響くんです。

なので音階は「型」といってもいいのではないかと思います。

 

最後に「型」についての名言をご紹介します。

「型があるから型破り、型がなければ形無し」

ご存知の方もいらっしゃると思いますが、落語家の立川談志いわく、

「型ができていない者が芝居をすると型なしになる。メチャクチャだ。型がしっかりした奴がオリジナリティを押し出せば型破りになれる。」

ということです。

 

というわけで「型」について書くのは今回で終わりです。

ですが、今後また別な形で「型」のことを書くかもしれません。

 

こんかいはこのへんで。

 

では。