身体の使い方による「型」

インフルエンザの大流行が収まらないなか、今度は花粉が飛び始めたというニュースが流れはじめる今日この頃、みなさま、いかがおすごしでしょうか。

ども、そんなわけでわたくしが、インフルエンザも花粉とは全く無関係なコンマスHです。

苦しんでる方には本当に申し訳ないのですが、幸いなことに今までインフルエンザにも花粉症にも縁がございません。

でも花粉症になった人のお話を聞くに、突然花粉症になる!とおっしゃった方が多かったこと多かったこと!

油断は禁物です!!

 

さて、今回は前回予告させていただいた通り、身体の使い方による「型」というお話をさせていただきます。

 

これまた重複して申し訳ないのですが、「型」というと武術なんかをイメージする方が多いかと思います。

ではいったいなぜ「型」が必要なんでしょうか。

前回、「型」とは

「無駄なく効率よく便利に使える方法」

と書きました。

例えば、武術なんかだと型とは

「無駄なく効率よく相手を倒すための方法」

と言えると思います。

つまり、型とは相手を倒すための効率的な身体の動きを集約したものと言えるでしょう。

なので、型の練習をすれば、大袈裟に言えば誰でも倒せるようになるマニュアルみたいなものです。

でもこう言われると違和感を感じる人もいらっしゃいますよね。

ちなみに昔の私は「型」というものに対し

「個性は無視するのか?」

とか

「人の動きは一人一人違うから型にはめるのは無理がある!」

と思って反発してました。

 

では「型」というのは本当に個性を無視したものなんでしょうか?

答えは逆です。

型は個性を浮き彫りにします。

さらにうるさい事をいうと、個性とはなんだ?という話になりますが、乱暴に定義づけするなら

「長所と短所、得意不得意」

ということにします。

 

同じ型、もっと緩やかにいえば同じ動きを全員でしたとします。

例えばラジオ体操とか。

同じ動きをしてるのに、なんか一人一人動き違いますよね。

中には普通にラジオ体操やってるのに面白い動きに見えてしまう人とかいましたよね。

例えば柔道だったら投げ技は得意だけど寝技は苦手とかいますよね。

ではなぜ同じ動きなのに人によって得意不得意は出てしまうのでしょうか。

例えば体格もありますね。

でも体格だけではないですよね。

ではそのような個人差はどこから出てくるのでしょうか。

ここまで引っ張っておいてあれですが、この話は今はしません。

先々書く予定ですので、この話はいったん終わりにさせてください。

 

では今は何の話をするかというと、「型」にはめるということは、

一人一人の個性を浮き彫りにするということです。

個性の代わりに得意不得意といってもいいです。

というか、得意不得意を浮き彫りにするといった方が分かりやすいですね。

ということは、得意不得意が分かると次に

①不得意を克服する

②得意なものを更に強化する

③ ①と②を両方やる

ということを考えると思うんです。

現実としては①か②を選ぶことが多いのではないかと思うのですが、理想は③ですよね。

更に理想いえば、全部得意になりたいですよね。

ここで言葉の定義づけをします。

・得意不得意がある状態を「偏り」

・得意不得意が無い状態を「平均化」

とします。

この定義づけを使って改めて理想の状態をいえば

「理想は平均化した状態」

といえますね。

これはあくまで理想です。

もし平均化した状態になれば無敵です。

型に沿った動きが自由にできるわけですから。

 

だいぶ長々と書いてしまいましたが、なぜ「型」が必要か考えるかというと、、、

~「型」にはめることによって、自分の偏りを知り、偏りをなくすよう鍛錬し、平均化した状態を目指すことにより、真の自由な動きを得られるから~

です。なんか現代文の記述式の答えのような文を書いてしまいましたが、とにかく、一度方にはめることによって、自分の偏りが分かるということだけでも大事なのではないかと思うのです。

 

では今まで書いてきたことは、武術や格闘技に限った話なのでしょうか。

また、身体の動きだけに当てはまることなのでしょうか。

次は

身体の使い方以外における「型」

書こうと思ってるのですが、今になって書ける自信がなくなってしまいました(笑)。

でもどうにかします。

また、身体の動きに関しては先々書きます。

 

というわけでだいぶ長くなってしまいました。

今回はこのへんで。

 

では。