わたしのこと8 ~slipping away~

12月だという実感がない日が続いておりますが、皆様、いかがおすごしでしょうか。

ども、そんなわけでわたくしが2日連続で、信号故障やら人身事故やらの影響を受けてしまったコンマスHです。

続くときは続きますね。

 

さて、前回はソルフェージュとピアノ教室について書きまして、ピアノの発表会をもって、その教室を辞めたというところでおわりました。

発表会は日曜日にありました。

ということは翌日は月曜日です。

当たり前ですね。

その月曜日の朝、父がトイレで倒れました。

脳溢血でした。

 

私は小学校にすでにいってました。

今でも覚えてます。

あれは家庭科の時間でした。

裁縫の実習してると、先生から

「お兄さんが迎えにくるからすぐ帰る準備しないさい。」

と言われ、なんだろうと思いつつ言われた通り帰る準備し、兄に連れられて帰りました。

そのとき、父が倒れたと言われましたが、まだことの深刻さは分かっておりませんでした。

帰ってランドセルを置いて、父が運ばれた三鷹市の病院にいきました。

集中治療室で管や人工呼吸器をつけられた父の姿をみて、全てを悟りました。

そして一旦家に帰り、病院に泊まるための準備をしてまた病院に向かいました。

 

父が運ばれた病院は、大病院で一晩中救急車がきて、患者が運び込まれました。

今でも覚えているのは、交通事故で瀕死状態の患者さんが運ばれてきたときです。

患者さんのご家族は助かることを望んで祈ってたのですが、トイレいくために運ばれたところの近くを通った際、

「これはダメだ・・・」

という声が中から聞こえました。

で、トイレから戻るとご家族の方々は助かることを祈ってました。

その姿をみて、なんとも言えない気持ちになりました。。。

正直言って、父の場合はもう助からないのは分かってたので、段々と覚悟は出来てました。

でも、事故にあったご家族の方々は助かることを願ってました。

そういう意味では我が家とは違いました。

このときに、

「人間っていつか死ぬんだな~。」

ということを身近に感じました。

深夜の救急病院というのは生と死が入り乱れてます。

幼心に色々なことを感じましたが、行き着いた結論は

「生まれたからにはいつか死ぬ。偉い人も貧しい人も、平和な環境で生きてる人もそうでない人も、とにかく死ぬ。人間は死ぬために生きている。」

ということです。

そしてこれは決してネガティブなことではありません。

事実です。

ネガティブに捉えるかポジティブに捉えるか事実として淡々と捉えるかは人それぞれです。

このへんの私の感覚は他の人と違うかもしれません。

でも何と言われようと、生まれたら死ぬんです。

それだけは残念ながら変えられません。

 

話がそれましたので戻します。

 

父は運ばれて2日ほどで亡くなりました。

思えば亡くなる1か月くらい前から、まるで自分の死を分かっていたかのようなスケジュールでした。

前日は先生と大揉めにもめた私のピアノの発表会、亡くなる当日の朝は、当時浪人生だった兄から前日、前々日に行われた共通一次試験(当時)の結果を聞き、どうにかなりそうなことを知りましたし、高校、大学の同級生との旅行もありました。

また、たまに会う親戚が、「そういえば最近、赤坂でみた。珍しいなと思ってたとこなんだよ。」と言われました。

そういう状況を知るにつけ

「お見事!」

と思いました。全部やりきって亡くなりました。

また、トイレで倒れたのですが、父はトイレに詰将棋の本を置いており、詰将棋の本を読みながら倒れたそうです。

誤解を恐れずに言えば、

「見事な死にかた」

だと思います。苦しまず、自分の好きな詰将棋の本を読みながら倒れたのですから、ある意味うらやましいです。

残された家族はたまったもんじゃないですが。。。

 

そういうわけで、何の心の準備もなく父は亡くなりました。

 

あまりに突然すぎて、現実味がなかったです。

不謹慎な事を言えば、納骨まではイベントが続いたり、家に人が訪問してくれるので賑やかだったとも思いました。

 

でも確実に私の中にも変化がありました。

 

その具体例は次々回に書く予定です。

 

では次回は何を書くかと言えば、今の私にも多大な影響を及ぼしているとある事件について書きます。

この年の我が家はハプニングだらけでした。

その詳細はまた次回に。

 

長くなりまして、申し訳ございません。

 

では。