わたくしのこと7 ~ピアノとソルフェージュ~

気が付けばもう11月後半ですが、皆様、いかがお過ごしでしょうか。

ども、そんなわけで私が、なぜか京阪電車のサイト内にある「紅葉の見頃状況」をみているコンマスHです。

京都や滋賀の紅葉の名所はちょうど見頃のようです。

 

京都の話になると話が脱線して止まらなくなるので今回は早速本題へ。

 

小学校2年生で鈴木メソッドの先生から先生をかえた私は、あるとき先生から

「ソルフェージュを習いにいきなさい!」

と言われました。

理由は、譜読みや初見が出来なかったからです。言ってしまえばドレミが読めなかったんです。そのレベルです。

なぜなら鈴木メソッド時代は、ソルフェージュや楽典みたいなものは教わらず、独特の譜面の読み方と耳から曲を覚えていたからです。

鈴木メソッド全体がそうなのか、私が習ってた先生がそうなのかは分かりませんがドレミすら読めませんでした。

 

そこで早速、先生をみつけて通うことになりました。

その場所が下丸子、次回の演奏会やる場所の非常に近くに先生のお宅がありました。

もっと言ってしまうと、だいぶ前にレイディエートが下丸子の大田区民プラザの大ホールで演奏会やったとき、小ホールで通ってた先生のピアノ教室主催の発表会が行われておりました。

これは非常に焦りました。

なぜ焦ったかはこれから先を読んでいただければお分かりいただけると思います。

 

はじめて教室にいった際、説明を聞いたり、先生の話を聞いたりしました。

実はこの教室、ご夫婦でやってらして、旦那さんがソルフェージュや楽典、奥様がピアノを教えていらっしゃいました。

ですので、当然話の流れでピアノもやることになりました。

レッスンは音楽理論や聴音が主でした。

思えば、あまり初見でソルフェージュの教本をうたうことはしてませんでした。

ピアノもバイエルからはじめました。

 

当時の私は小学校4年生くらいだったと思います。

そりゃあもう遊びたい盛りでした。

それで真面目にソルフェージュのレッスン受けないので、親が呼び出されて、それまで一人でレッスンいってたのが、母親と一緒にレッスン来るよう命じられました。

その後、反省した(?)ので、また1人でレッスンに通うようになりました。

 

しばらく平和な日々は続いたのですが、ピアノの発表会出るということになり、発表会向けて曲の練習をはじめました。

曲はホフマンの舟歌です。

今でも忘れません!!

テンポですが、私は当然ゆっくりのテンポでやるものと思ってました。

ところが奥様であるピアノの先生は、どうしても速いテンポで弾かせたいらしく、たぶん何度か指摘されたと思います。

でもですね、正直いってあまり記憶にないのですが、おそらく私が言うことを聞かずにゆっくり弾いたので、ある日先生が爆発、要は激怒しまして、その日のレッスンは中断になりました。

あ、書きながら思い出しましたが、その前にも態度が悪いということで、ピアノのレッスン、奥さんから旦那さんに代わったことがありました。。。まぁ子供の頃の話です。

話を戻します。

激怒されたのに、私は

「先生はセンス悪いなぁ」

と思いましたし、この曲は絶対ゆっくり弾くべきだという意味不明な自信がなぜかありましたので、むしろ先生に対して少し憤りすら感じてました。

そうです。全く反省なんてしませんでした。

そこで父に相談したところ、

「だったら先生の前では早く弾いて、本番ではゆっくり弾けばいい。」

と言われまして、子供ながらに目から鱗がおちました。

それからというもの、ものすごく真面目にレッスン受けました。

そして本番。

思いっきりゆっくり弾きました。

終わったあと、先生は苦笑いしてました。

そしてこの発表会をもって、辞めました。

 

そして翌日、思いもよらぬことがおこりました。

私の人生の第一の岐路といっても過言ではありません。

 

それはまた次回。

 

では。